「選民意識」ってやっかいなものだね。
自分は特別に選ばれた人間なのだ、なにもわかっていない世の中の民とは違うのだ、というところから、気に食わない言動を排除したり、「自分の正義」を布教して他人を変えようとするところまでいってしまう。
そういうのは、一見、知的には見えても、「向学心」ではなくなっているのだろうと思う。知識欲があっても、自意識を高じさせるための知識だけを選んで吸収するようになったら、バランスを失ってしまう。
すべて正しいわけがない。
自分の意見がどこかに取り上げられたり、大勢に読まれる立場になったときは、同時にその場で間違いを晒したり、恥をかくこともあるんだということも引き受けなきゃならないと私は考えている。
それが個人の意見を表明するということだと思う。
そういう責任が希薄になってゆくと、人はどんどん弱くて脆い、守られる場所だけで物を言う存在になっていくのかなと思っている。